まずは書斎のドアを閉めて書き、次はドアをあけて書く。
ちょっと待ってよ、『2分の1の魔法』日本上映版にはシンプソンズの短編上映されないってマジかよ。僕ら日本のシンプソンズファンはどれだけの苦境を味合わねばならないのか。日本語吹き替えの再開、ずっと待ってます……。
暑くて毎日キツいですが、なんとか生きてます。来週からは少し休みがもらえそうですが、そんな空手形を今更信じるほどお人好しでもないので、小説を5,6冊買うだけにとどめたがね。
■作品内容
1947年、アメリカのメイン州ポートランドで生まれたスティーヴン・キングがその生い立ちから、高校教師を経て74年に長編小説『キャリー』で作家として脚光を浴び、現在に至るまでの作品についての話と、書くと言うこと自体について書いた文章読本。
『小説作法』の題名で刊行された新訳版であり、巻末に収められたスティーヴン・キングが読んで損はないと勧めるブックリストも2001年から2009年にかけて八十冊追加されている。
■感想
さて、今回は私としては一風変わった本を読んだ。
この読本と名のつく本が私はいまいち好きになれなかっったりする。いや、副読本とか買うことはあるんだけど、あんまり元が取れないというか、一回見たら(読むではなく)はい終わりみたいなところがある印象。
要するに難しすぎる。浅く広くな人間には向かないことこの上ないと思い込んでいる。
じゃあ、なんでこの本を手に取ったかというと、実は前々から“スティーヴン・キングが書いた”というだけで興味はあった。
しかし、僕はスティーヴン・キングをほとんど知らない。『IT』『シャイニング』『ミザリー』などなどの幼少期にトラウマを植えつけてくれた映画の原作者というだけで著作は読んだことがない。だから、まずは著作を読んでからからなぁと思っていたのだが、訳が合わないと読めないんだよ。本当に小説は文章が合うか合わないかに左右されるから、作品が好きだからこそ読みたくないという矛盾に陥っていた。
でも、そんなのどうでもいいじゃんかと今作をさっさと買った。いや、これじゃあ語弊ありまくりだ。珍しく買うまでちょっとしたドラマがあったから聞いてくれ。
本屋で検索して在庫があるからと棚を探して見つからなくて、書店員さんと一緒に棚を探しやっぱり見つからなくて、なぜか一緒に裏倉庫まで行って探して案の定なくて、平謝りされながら取り寄せてくれるっていうから手続きが完了した瞬間、「ありましたーっ!」と駆け寄ってくる店長さんのおかげで買えた一冊だったりする。
所要時間2時間弱w 笑うしかねぇ、むしろ客としては怒り出す状況だが僕は心から礼を言って買わせていただいた。こんな思い出が出来たら手放せないね。
ちなみ、ちょっと本屋行ってくると言って出掛けただけだったのに2時間コースってのは、家族にめちゃくちゃ嫌味を言われたりもしたがな。
けれども、読んでよかった。
非常に面白かった。
本作は明確な目次がないんだけど、本編の方でキング自身が語っている内容がある。
『履歴書』スティーヴン・キングが作家になるまでの出来事。
『道具箱』小説を書くのに必要な道具について。
『書くことについて』小説を書く上で重要なこと、あるいはキングの書き方。
『生きることについて』生死を彷徨った経験から気づいたこと。
ざっくりになってしまいますが説明すると、『履歴書』では本当にキングの生い立ち。シングルマザーの母の元、中の下くらいの家庭環境で兄とともに育ち、内耳炎などの病気で一年遅れの学校生活とか、子どもの頃に初めて書いた物語が言ってしまえばパクリ、そのまま写したものを母に見せて「次は自分で考えたものを」と言われたことからオリジナルの話を書いて、母親からではあるが初めてお金を稼いだ。たぶん、この経験がなければ書けなかったと言っても過言じゃない経験だったんだろうな。
キングの学生自体も面白いこと、特に兄・デイヴが作っていた新聞〈デイヴのミニミニ通信〉の件とか本当に面白かった。
そこから奥さんとなるタビーと出会い、子どもも二人生まれるが、キングは作家志望というだけで底辺の暮らしをしていた。後に高校教師になるが、それは給料は安定しても書く時間が奪われていき上手く行かなくなっていく。
そんな時に書いた『キャリー』を思いつくが、キングはそれをボツにする。理由はいろいろあったが、一番の理由は売れないから。売れない作品を完成させられるほどの余裕はなかった。
でも、屑箱から丸まったそれを見つけたタビーが太鼓判を押す。生理のことなどの男が知らない女子の学生生活についてはタビーが請け負ってくれて、キングはキャリー・ホワイトが好きじゃないまま書き出したという。
結果は言うまでもない。『キャリー』はうちの母親すら知っている傑作だ。そして、これもまた俺の幼少期のトラウマ映画だ。
『キャリー』の刊行が二千五百ドルで決まり、ペーパーバッグが決まるかもしれない。これ、日本だと馴染みないけど、紙表紙の廉価版と思えばいいのかな?
ここからペーパーバッグ契約が決まるまでの件は、読んでるこっちまで嬉しくなったくらい。あの悪ガキがついに奥さんを喜ばせてあげられるのか、的な親戚の叔父さん目線だったが、キングはそんなことを思っていい人物じゃないので注意w
にしても、奥さんの存在がでかいよなー。
あとお母さん。だからこそ、キングの母の死は私までつらかった。
次の道具箱については小説家にとって必要なもの。ここらは小説を書く人には響くんでしょうね。
まず、道具箱の一番上――よく使うところに入れるのは語彙。量ではなくどう使うか。
私はこの辺りで『図書館戦争』の1シーンを思い出す。頭のいい人は難しい言葉を使うんじゃなくて簡単な言葉で伝えるんだよ、ってうろ覚えだけどそんな感じ。豊富な語彙も、簡単な語彙だけ使うことも素晴らしいが、言葉の多さで誤魔化すんじゃないってこと。
次が文法。キングは副詞が嫌いだけれども、ここは難しいよな。〜する。〜した。とかばかりだとチープに感じちゃうからこそ、「とても」や「すごく」とか副詞を使いたがるんだと思う。ほら、強調したいじゃん。
ここを読んで思い出したのは赤川次郎さん作品。読んだことがある人なら分かるだろうけど、あの人の作品には無駄がない。場面転換すら一行で終わらせるあっさり度なのだが、テンポがよく無駄がない。私は赤川次郎さんの作品ほど疲れない作品を知らない。
なのに、過不足なく伝わるんだからすごいんだよ本当に。
本題である書くことについて。
作家になりたい人が絶対にやらなければならないことは、たくさん本を読み、たくさん書くこと。
いろんな作品からインプットして、書いてアウトプット。そうやって自身のやり方を見つけて行けというもの。
ここは興味深い。『ミザリー』を書いた時のこととか、キングが作品を作り上げるまでの書き方。これはちょっと、というかすげー分かる。ドアは閉めるものだ。でも、僕にはその後に開くという発想はなかった。基本的にこのブログとかで文章を書く時に雑音は排除するのだが、ちゃんと書き終わったら開けなきゃいけないと思わされたよ。
最後となる生きることについて。
これはキングのヴァンに引かれて生死を彷徨った経験から。散歩中、キングはヴァンに引かれて死にかける。それはこの『書くことについて』を書いていた途中だった。
それから何度も手術をしてやっと動けるようになるのだが、まだまともに座っていられない状態でも、キングは書こうとしていた。これより前に「休むことが仕事。書いている時は遊んでいる」とキングは言っていたが、書くことはキングにとって仕事ではなく生きるのに必要なことだった。
献身的に支えてくれるタビーのもと、キングはまた書き始めてこの本を完成させた。
いやー、面白かった。
繰り返しになるけど、私は読本が好きじゃないんだ。お前の言うとおりにできたからといってなんなんだという無駄な反骨心のせいだ。
でも、これは本当に面白かった。キング流書き方を知りたい人だけでなく、作品との向き合い方が面白かったんだ。
ここでいつもならお気に入りになるわけですが、ちょっと今回付箋の箇所多いんで何個か紹介したい。
ただし、箇条書きでな!
・「何か書くときには、自分にストーリーを語って聞かせればいい。手直しをするときにいちばん大事なのは、余計な言葉をすべて削ることだ」
・登場人物に対する作者の当初の理解は読書と同様、ときとして間違っている。
・遺体は死んでいるのだ。そんなにがんばらせる必要はない。
・検閲官の志望者はごまんといる。
・愛着があっても、駄目なものは駄目だ。
こんなところかな?
まだまだあるけどあとは説明が必要だし、なにより少しでも気になったのなら読んだ方がいい。ここで終わらせるのより絶対いいからな。ちなみに、いつものように一つだけ選ぶなら僕は遺体の説明をめっちゃすることになっただろうよw
さて、次はキング作品を読むか、それとも巻末のキングオススメ作品を読むか、悩みどころだなー。
しっかし、なんでかなー。
巻末のキングオススメブックリストでさ、「読んで損はしない」ってキングが書いてくれるからさ、僕にとって偉大な作家である大迫純一ささんを思い出した。「面白いぜ。にやり。」この人の本を読んでいなかったら私はここまで読む人間ではなかったと思うんだなー、少なくともブログはやってない。
でかい人というのは、たった一言でもでかいんだな。
書くことについて
スティーヴン・キング 訳者・田村義進
小学館 (2013/7/5)