誰にも負けない、傷つかない、誰にも泣かないなんてこと、先に考えてどうするんだ。
おはようございます。今日は休みだぞ!
いや、普通に年末休みだろとか思わないでいただきたい。私の場合、元旦すら休みじゃないこととかザルだからな! 12月の休日出勤オンパレードを超えて勝ち取った休みが今日なのだ。
この更新が終わったら、メダロット9をクリアするんだ。たぶん、もうそろそろ終わりだから。
■感想
今回は去年くらいからちょこちょこ読んでいる糸井さんの本ですね。例によって糸井さんがほぼ日で書いた言葉の詰め合わせな本。
コロッケと小さな言葉を読んだので、今回の花束は三冊目です。わりと前に買ったんですが、例によって朝方のぼーっとした時間に読んでいたので今日までかかってしまった。
しかし、三冊目にしてちょっと辟易してしまったのは、いくらその文章が素晴らしいからといって文章の三段にして文字びっしりなのは読む気が失せる。いや、このブログもそうだけど、改行のない文章って途端に読みにくくなるじゃないか。
小さな言葉にはこの構成はなかったと思うんだけど。コロッケと花束にあるということは昔のを読んだ方が性に合うかもしれない。
変則的に読んでいるから糸井さんの考え方の変化とかも如実に分かってなかなか楽しいんですがね。
グッと来たのは情報の話ですね。
垂れ流しにされているテレビやネットの情報はつまみやすくて心地いい。けれども、それは情報のプールじゃなくてスナック菓子なんじゃないか。口当たり良くておいしいて、大切なことをしたような気になっている。
これは痛いな。
ネットでどうでもいい情報を手に入れて時間を食いつぶしていることはよくやってしまうんだけど、それがその時心地いいだけで無駄であることは分かっているんだ。
それでもやめられない。無駄を切り捨てることがいいことじゃないけれど、今の私はそれを認識したなら許せないと思うんだな。今の私は私にめちゃくちゃ厳しいんだ。ゲーム機捨てちゃったからなー。
あとは親友の話。
ネットのおかげで世界中から友達を作るのが簡単になったけれども、たった一人の親友を作るのは難しいというものなんだけど、いや友達も簡単に作れないよw ぼっちに無理難題言わないでww
だからか、親友ってのは一種の憧れなんだよ。
そんなすごいものが、簡単に手に入ってたまるかと思うのだ。
こんなところかな。
あ、相変わらずブイヨンの写真は可愛いです。そういや、書いたかもしれないけれども先日ブイヨンを連れた糸井さんと擦れ違った。めっちゃぐいぐい歩いてたなー。
声をかける勇気なんかないし、その必然性を感じなかったから何もしなかったけど、そういうなんでもないことがどうしようもなく好きなんだ。
……うー、テンションは高いんだけど、身体がついてこないんでこの辺で終わらせよう。この後はメダロットしないでねませうか。
読みやすく共感というか、納得することの方が多い内容でした。今回は死生観が多い気がして辛くなるが、いつかは向き合わなきゃいけないことなんだと思えるようにもなってきている。
だけどまぁ、もう少しだけ時間をくださいって感じだがね。
では、この辺でお気に入りへいきましょうか。
今回は状況を説明するのが難しいのですが、大人になった自分と子どもの自分の話から。
おとなになったら、夕暮れはさみしくなくなる。
そして、夜の怖さもなくなる。
そのはずなのに、
わたしのなかにいる、こどものころのじぶんが、
まだ忘れていないよと、
べそをかきながらこっちを見ている。
ちょっとやりたいことがあるんだが、そのことについて考えている時の心境がまさにこれだったりする。
結局のところ、私は私のことくらいしか分からないからと子どもの頃の自分を思い描くのだが、怖がりだし変な正義感があったりですごく大変な奴だ。
けれども、そんな目線の世界も面白かったなー。
忘れてきた花束。
糸井重里
東京糸井重里事務所 (2015/8/24)